BJクラブ英会話

    楽しく、しっかり身につける英会話

BJクラブ英会話 東広島市 西条 (西条土与丸) | ネイサンのブログ

Aug 2008
Jun 2008
Feb 2008
Oct 2007
Sep 2007
Jul 2007
May 2007
Jan 2007
Dec 2006

一句

足下ろせ高校生にテレパシー

JRの小さな心掛け

最近は、JR西日本の電車のドアに貼ってある、「ドアにご注意」というステッカーが現れました。ステッカーについては、各出入り口に、右左とも、上下とも一枚ずつ、計4枚のステッカーが貼ってあります。また、駅に着く前の車内放送に、「ドアから手を離してお待ちください」と車掌がいつも言うようになっているし。

先日電車を降りたら、少し(本当にほんの少し)面白いことに気づきました。上の方のステッカー、つまり大人の目が届く高さに貼ってあるステッカーは、「開くドアにご注意」と書いてあります。一方、低い方のステッカー、つまり子どもの目が届く高さのステッカーは、「ひらくドアにごちゅうい」という文字です。子どもに分かり易いように、漢字抜きの表示にされている訳です。

続きを読む

女子高校生に言いたい「十戒」

今日、江田島に行くことがありました。山陽本線と呉線で呉まで行き、呉中央桟橋からフェリーで江田島の小用に向かいました。7時40分発のフェリーで、通学している高校生が十数人乗っていました。

20分という短い海路ですが、新聞をゆっくり読みたいと思っていました。しかし、隣の座席に突入した5,6人の女子高校生のせいで、そうは全くできませんでした。その女子高校生は腰を掛けたとたん、色々な「必携品」を鞄から取り出し始めました。教科書やノート、シャーペンなどではなく、携帯や鏡、メイクの用品、など等。菓子パンをかじりながら、お互いの化粧やヘアメイクに必死に取り組みました。高校生がこういったようなことをするのが決していいことと思いませんが、まぁ、他のお客様の迷惑になっていないということで、「まぁ、いいか」と、新聞を開きました。

その瞬間。二人の女子が携帯を開き、結構高い音量で音楽を流し始めました。何らかのJポップでした。歌詞が誰なのか知りませんでした(知りたくもなかったし)が、とにかく煩かったです。

続きを読む…

スターリングラード

1943年2月2日、65年前の今日、スターリングラード攻防戦が終わりを迎えました。

ドイツ軍によるスターリングラードの包囲は5カ月間も続きました。その期間の戦闘で、ドイツ軍の戦死者は約30万人に、ソ連軍の戦死者は約50万人にものぼりました。また、約20万人もの市民が死亡したと言われます。あきれ返るほどの数字です。

僕は2006年の夏、広島市の団体の通訳で、スターリングラード(現在はヴォルゴグラードです)を訪れることがありました。いつまでも記憶に残る数日間でした。理由はいくつかありますが、3つだけ述べましょう。「人の優しさ」、「街の懐かしさ」、「歴史の恐ろしさ」という3つの理由です。

「人の優しさ」といえば、説明は必要ないでしょう。数日間だけの滞在で一生続く友情関係ができたとだけ言えば、十分でしょう。

初めて訪れる街に「街の懐かしさ」を感じたと言えば、おかしいでしょう。説明しましょう。僕は1990年、1991年、モスクワとサンクト・ペテルブルグ(その当時はレニングラードでしたが)を訪れることがありました。その当時のモスクワもレニングラードも、ロシアの「味」がはっきりした都市でした。その「味」は結構気に入りました。しかし、現在のモスクワでは、ここ数年の発展のせいで、僕が好んでいたロシアの味がほとんどしなくなりました。(サンクト・ペテルブルグもそうではないかと思います。)でもヴォルゴグラードは、当時高校生だった僕を魅した1990年・1991年のロシアを思い出させてくれました。例えば、街を走るトローリーバスや、道端でクワスを売っている人々などのありふれたことを久々に出会えるのが本当に嬉しいことでした。

でも、「人の優しさ」や「街の懐かしさ」よりも、何よりも、ヴォルゴグラードでの滞在が記憶に残るのは、「歴史の恐ろしさ」を実感させられたからです。もちろん、「歴史」といえば、スターリングラード攻防戦の歴史のことです。ヴォルゴグラードでの滞在が短期間のものではありましたが、その攻防戦の悲惨を少し知ること、分かることができたのです。

(まぁ、「分かる」と言っても、本当に分かることはもちろん無理ですが。戦争を経験したことの無い僕の「分かる」とは、「想像する」に過ぎないのですね。)

とにかく、スターリングラード攻防戦を語る資料館を訪れるときの気持ちは、広島の原爆資料館を初めて訪れたときと同じようなものでした。その気持ちとは、戦慄と悲しみでした。

また、広島の原爆資料館と同じように、スターリングラードの資料館に一度訪れたことだけでは、悲惨の全てをちゃんと心に留めることができないと思います。遅かれ早かれ、深く印象に残ったヴォルゴグラードにまた行きたいのです。再び資料館に足を運び、65年前の悲惨を無言で物語る展示物をゆっくり、じっくり、見詰めたいのです。戦慄と悲しみを感じながら、少しでも「想像」から「分かる」に変わりたいのです。

はるばるヴォルゴグラードを再び訪れる日はいつか分かりませんが、いつかきっとあると思います。ママエフの丘に建つ母なる祖国像の手前にある池に硬貨を投げ入れると、いつの日かヴォルゴグラードに戻れると言われています。僕はこの言い習わしを信じて、ヴォルゴグラードに戻れる日を楽しみにしています。

Rodina Mat' Zovyot! (Mother Motherland Is Calling)
ママエフの丘に建つ母なる祖国像

財布で実感した田舎の治安

先日、財布について、友人と話していました。すると、このエピソードを思い出しました。

江能4町(江田島町・能美町・大柿町・沖美町)が2004年に合併し、江田島市になる直前にあったことです。僕は江田島町の時代、役場に勤めていました。家から歩いて20分の所にあった役場には、自転車で通勤することが多かったです。とにかく、ある日、役場に着いたら、財布を自転車の籠に忘れてしまいました。しかも、結構多くの人が通る公民館の前に駐輪していました。まぁ、財布を持っていないのに気が付いたのは12時前、つまり財布がずっと4時間程度籠に入ったままの時でした。慌てて駐輪場に戻ったら、財布はそのままありました。中身も、そのままありました。でも、財布が誰にも見られていなかったから盗まれなかった訳ではありません。実は、何らかのチラシも籠に入れてあったのです。しかも、そのチラシは、風に吹き飛ばされないように、財布の下に置いてありました!

運が良かったに過ぎないかもしれませんが、このことで本当に田舎の治安を実感しました。

B.J. Club English School | BJクラブ英会話 東広島 西条 土与丸 Tel.: 082-421-5223  © 2007-2011 BJ Club Eikaiwa 問い合わせ