28:BJクラブ英会話誕生
04/04/08 10:39 Filed in: 落ちこぼれからの復旧
約束の3年が終わる頃には、もうカナダへの未練はなかった。日本へ帰って念願の英会話学校を始めるのだと、意欲満々だった。
とは言うものの、当時私の描いていた学校は、私が一人で細々と教えるという、家庭教師スタイルのものだった。
社長が「どうせやるなら、人を雇って大きくしなさい」と色々とアドバイスをしてくれた。
1年早く帰国していた夫の住む東広島市に、私は来た。
右も左もわからない場所で、一体本当に開業できるのであろうか?と不安になった。
23才で抱いた夢が7年後30才になってようやく、形になろうとしていた。
しかし、よくこんなに回り道をしたものだ。と、自分の不器用さに呆れた。
1995年4月1日に広島県民となり、市場調査や広告手配をし、同年6月6日にBJクラブ英会話は始動した。
これから到来する苦難の日々を想像する事もなく、私は浮かれていた。
とは言うものの、当時私の描いていた学校は、私が一人で細々と教えるという、家庭教師スタイルのものだった。
社長が「どうせやるなら、人を雇って大きくしなさい」と色々とアドバイスをしてくれた。
1年早く帰国していた夫の住む東広島市に、私は来た。
右も左もわからない場所で、一体本当に開業できるのであろうか?と不安になった。
23才で抱いた夢が7年後30才になってようやく、形になろうとしていた。
しかし、よくこんなに回り道をしたものだ。と、自分の不器用さに呆れた。
1995年4月1日に広島県民となり、市場調査や広告手配をし、同年6月6日にBJクラブ英会話は始動した。
これから到来する苦難の日々を想像する事もなく、私は浮かれていた。