BJクラブ英会話

    楽しく、しっかり身につける英会話

BJクラブ英会話 東広島市 西条 (西条土与丸) | 祥子のブログ

閉じ込められた犬

今朝は、犬2匹を車に積み込み鏡山まで行った。
移動の際は、各々小さなバッグに入れるのだが、鈴はあまりバッグに入るのが好きではない。
最近、ちゃんとしつけをしようと、新しいバッグを買い、家の中で入る練習をさせていた。

今日は本番。新しいバッグに入り、初めてのお出かけだった。
すんなりとバッグの中には入ってくれたが、鏡山につくまで車の中でなきっぱなしだった。うるさかった。
しかし、完璧に無視していた。これでバッグから出したりしたら、鈴は二度とバッグには入らないだろう。
ここは、心を鬼にするしかなかった。

鏡山に着き、二匹をバッグから出し、思いっきり走らせた。凄く楽しそうで、私にとっても良い運動になった。

散歩が終わり、車に乗る時にバッグに入れた。意外にもすんなり入ってくれた。
しかも、帰り道は一度もなくことはなかった。進歩である。

家について足を洗ってあげようと、バッグを開けると鈴は嬉しそうにでてきた。
花は眠いのか、なかなかバッグから出てこない。「まあ、いいか」と花は放っておいて、鈴の足から洗った。
その後、花に「おいで」って言っても一向に出てこない。私は段々イライラしてきた。
花はハウスが大好きで、何時間でもだまーって入っている。全然手がかからない。
だから今日もあまり気にしていなかったが、何故出てこないんだろう?何故言う事を聞かないのだろう?

よく見てみると、花に着せた洋服の一部がバッグの後ろのチャックに食い込んで、花は出ようにも、出られない状況だった。
それは、鈴にばかり気をとられていて、花のバッグのチャックを慌てて閉めた私の責任だ。

花にはかわいそうな事をしてしまった。

犬2匹、平等に育てるのはとっても難しい。

久々の通訳業

昨日、由美子さん(BJの生徒さん)から依頼されていた、企業の通訳に行って来た。
以前カナダで通訳をしていた時、技術の会議に入っては、日本語自体の意味がよくわからず、落ち込む事が多々あった。
直近の通訳内容は、新規ビジネスの話だったが、交渉決裂でまとまらなかった。私のせいではないと思うが、これも後味が悪かった。

今回は監査ということで、依頼を受けてからの2週間、私は専門用語とその会社で何が起こっているのかの勉強を毎朝30分続けた。
企業での通訳は、まず日本語の意味をしっかり理解する事から始まる。

かなりしっかり前準備をして本番に向かった。
最初の顔合わせから、会議、監査、会議の順番だった。イギリスの発音で「うん?」って思った時が一回だけあったが、2秒後に「ア~!!」と理解できた。最初の会議でいきなり一度も聞いた事のない言葉がでてきて焦った。それ以降は勉強の甲斐あって、かなりスラスラと訳せた。
工場見学の時は、日本の人が言っている事がわからない時があった。もう少し簡潔に言ってくれればいいのに、とちょっと恨んだ。

最後のまとめ会議は、内容を全て把握していたので、上手に訳せた。最後にピーターが、今日はとても良い通訳がついてくれたので、とても助かった、ありがとう。と皆の前で言ってくれた。それだけで、1日の疲れが吹き飛んだ。

少しくらい黙る時があるのかと思っていたら、9時~18時30分まで車で移動の時以外は、話し続けていた。
昼食の時も、黙っている事はなく、支給された美味しいお弁当を、口の前迄もっていっては、食べられないでいた。
それでも私は、昼抜きでは午後がもたん!と思い、みんなが食べ終わってやっと話がなくなった5分の間にお弁当をガツガツと口にいれた。

1
日が終わる頃、私の喉は痛く、頭はフラフラしていた。
18時30分、皆にさよならをして、BJのレッスンがあっている集会所へ急いだ。
それから2クラスを教え、私の1日は終わった。

その夜のビールがもの凄く美味しかったことは、言うまでもない。

38:しみとりレーザーと椎間板ヘルニアの因果関係 〜その3〜

「すぐに良くなる」と思っていたが、激痛は終始収まることはなかった。

検査の結果椎間板ヘルニアであることがわかった。そういえば昔から腰が痛かった。

私の入院生活には決まったパターンがあった。

朝やっと寝入った頃に看護婦さんがタオルを持ってやってきた。

それから朝ご飯と歯磨き。うとうとしてから10時30分から昔のドラマを見る。

それが終わる頃、英子さんがポットにコーヒーを入れてもってきてくれた。

昼から午後にかけて、両親が来てくれた。

(入院したと連絡したら、福岡から泊まりがけできてくれた。)

夕方になると、会社帰りに美和ちゃんが色々と持ってきてくれた。

美和ちゃんは私の両親が到着するまでの一週間、仕事と犬の世話と私の看病とで、やつれていた。

りえさんも会社帰りにやってきた。

りえさんだけは明るくビールを片手に「女子寮みたいだね」と私の病状とは裏腹になにか楽しそうだった。

面会時間が終わり、みんなが帰ると寂しかった。

悪い事にテレビではDr.コトーが放送されていて、それを見て涙がでてきた。

Shannon
は菊を持ってお見舞いにきた。Chrisは鉢植えを持ってお見舞いにきた。

日本の風習を冗談まじりに教えたかったが、来てくれる事が嬉しかったし、冗談を言える状態ではなかった。

2週間が過ぎる頃、杖をついてなんとか歩けるようになり、退院した。

その頃丁度、目の下の10円玉代のカサブタがめでたくとれた。

カサブタにとっては最良の入院だった。

私は生まれて初めての入院生活で、つきなみではあるが、毎日美味しく食べて、自分の事は自分でできて、という健康のありがたみをしみじみと感じた。

それと同時に、BJは勿論私の大切な大切な宝だが、それ以上に大切な事があるのだという事を改めて知った。

なんだか、人生観が変わった気がした。

その年のお正月に、みわちゃんと予定していたバリ旅行はキャンセルせざるを得なく、のち一生責められていることは言う迄もないが。

37:しみとりレーザーと椎間板ヘルニアの因果関係 〜その2〜

朝早く、下半身に走る激痛で目が覚めた。

とにかく痛いので、寝ている母を起こそうと立ち上がろうとするけれども、立ち上がることすらできない。あらゆる家具につかまりながら、壁をつたってやっとの思いで前に進んだ。

何が起こっているのかわからないが、その日のうちに広島へ帰って月曜日にはBJに行かなければならない。私はどうやったらまともに歩けるようになるかを考え、激痛の中ストレッチをしたり、風呂に入ったりした。それは1番やっては行けない行為だったと後に知る事となった。

痛みはひどくなる一方で、まっすぐ立って歩く事は不可能だった。止める両親をふりきり、昔使っていたスキーのストックを杖代わりにして、座っていても激痛が走る体をひきづり新幹線に乗った。その日に限り、プラットホームへのエスカレーターとエレベーターが工事中で、長い階段をてすりにしがみつき、斜めになりながら登った。駅員さんが心配してかけつけてくれた。「車イスでかかえていきますよ」と言ってくれたが辞退した。

母は後に、10円玉台のカサブタを顔につけ、杖をついた娘が新幹線に乗る姿をみて、涙がでてきたともらしていた。

東広島駅には美和ちゃんが迎えに来てくれていた。私の姿を見て「戦争から帰って来た兵隊さんみたい」と言った。私はおかまいなく「明日に差し支えるといけないから、とりあえず井口病院に連れて行って」と言った。

病院に着く頃私は、杖があっても歩けない状態となっていた。車いすにのり、診察を待った。

先生が痛み止めの注射を打ってくれたが、全く効き目はなかった。「入院しますか?」
「いえ、明日から仕事なのでしません。」

「仕事は無理ですよ。家に帰っても、きっと困りますよ。」

とりあえず言われた通り入院した。先生は正しかった。翌朝からは、激痛がさらに悪化し、上半身すらまともに動かす事ができなかった。美和ちゃんはその時の私を「1ミリも動けない」と上手く表現していた。

感心している場合ではなかった。

後の2週間の入院生活が始まった。

36:しみとりレーザーと椎間板ヘルニアの因果関係 〜その1〜

その日私は里帰りを兼ね、長年温めてきた目の下のシミの除去に、福岡へくり出した。

いつもは車で帰るのだが、病院が福岡市内にあるのと、週末だけだったので新幹線を利用した。

乗車前に事前に貰っていたセロハンテープに見える麻酔シートを、顔のシミの部分にペタペタと貼った。

博多駅で降りてみどりの窓口で聞きたい事があった。

質問をしたけれども、答えがよくわからなかった。

シミとりレーザーを控えて動揺していた私は「よくわからん」とセロテープぺたぺたの顔を係の人に向けて言い放った。

「よくわからん」かったのは、駅の係の人だったかもしれない。

シミとりレーザーはあっという間に終わり、目の下には真っ黒な10円玉位の大きさのカサブタができた。

2週間程でとれるとのことであった。

その夜は、カサブタが妙に目立つ顔をして実家に帰り、美味しい母の手料理を食べながら両親とお酒を飲んだ。

平和な夜だった。翌朝来る恐怖体験を、誰一人予想することはなかった。

35:勉強会

今は講師の求人をする時には、海外へ行って面接するか、インターネットで募集して書類選考をした後、電話面接で決めている。
開講間もない頃は、求人をするのに西条駅近くのサンスクエアの国際交流センターに、求人の張り紙をだしてもらっていた。

その時にカウンターに座っていたりえさんと私は意気投合した。
彼女も海外に住んでいた事があり、価値観も似ていた。
私たちは直ちに友人となった。

そしてその頃、まみさんという自由奔放な人とも知り合った。
彼女も海外に住んでいたことがあり、直ちに友人となった。

とは言っても、海外に住んだ事があるからといって、誰とでも気が合うものではない。

ということで私たち3人は、英語の勉強会を週1回行うこととなった。

家に集まり、英字新聞の要約や和訳をする、というものだった。
その勉強会は、かなり長い年月続いた。

ただ、その勉強会の80%は、自分たちの悩み事や相談事、又は面白話に費やされていた。

おかげで初めて受けた英検1級の筆記試験には、見事に落ちることとなった。

34:開講13周年

よく、会社が創立何周年で記念式典等がある、とか聞いて「ふ~ん」とまるで関心がわかない。

ところが、私にとって、毎年6月6日は自分の誕生日と同じくらい大切な日だ。
B.J.
クラブ英会話の誕生日なのだ。

特別な事をする予定はない。(仕事後は友人と飲み会があるが、BJの創立記念とはなんの関係もない飲み会だ。)

私にとって今日は、今迄支えて来てくれた人々、今支えてくれている人々、BJを大好きでいてくれている人々に感謝をする日だ。

BJ
を始めた頃の事を思い出し、今の自分に足りない物を探す事ができたら良いと思う。

(若さ???)

13年前にはなんの形もなかったものが、BJを通して沢山の人を迎え、送り出し、生徒さん同士で(あっ、講師と生徒さんも)結婚した人もいる。

英語を頑張って学習し、海外へ行ったまま帰ってきていない人もいる。

そんな大切な人の繋がりの場を提供し、影響しているのだと考えると、なんだか不思議で嬉しくなる。

これからも沢山の良い出会いがあり、英語を使う仕事に就きたい人や、海外に行きたい人のお手伝いがしっかりできますように!

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